2018年の夏に、鏑木さんから「トルデジアンに向けてトレーニングのしすぎで、倒れてしまった」と連絡をもらいました。
正直に言えば、それって経験豊富なベテランのやることじゃないでしょう!と感じなくもありません。でもそれ以上に“らしいな”と思ってしまった。50歳にもなったのに、20代の若者に負けず劣らず、ぶっ倒れるまで激しく追い込んでしまうところが。データや理論を超えて、熱い想いのまま限界スレスレを攻めてしまうんだなと。安パイという言葉が似合わない人ですよね。
『限界まで追い込んで走る鏑木さんのリクエストは常に作り手の想定を超えてくるんですよ』
だから、ウェアの開発においてもトレイルランナー鏑木毅の意見は聞きごたえがあります。話は脱線しますが、僕は学生時代にサイクルロードレースをやっていました。他のスポーツ以上にギアの比重が大きくて、学生のころからウェアをデザインしたりギアを触ったりするのが好きだったんです。そこで、当時はスコットという自転車ブランドを扱っていたゴールドウインに入社を志望しました。ひとくちにアウトドアメーカーと言ってもマーケティング寄りの会社や輸入代理店寄りのメーカーなどがありますが、“自分たち自身でモノを作れる会社”がゴールドウインだと感じて。入社後にトレイルランを始めて、100マイル(160km)のレースを完走するまでになりました。
そのため、トレイルランのウェアやギアにどんな機能が求められるかは一通り想像できます。でも、100マイルを20時間やそこらで、限界まで追い込んで走る鏑木さんのリクエストは常に作り手の想定を超えてくるんですよ。それは自分の限界をうまくマネジメントして、クレバーな走りに徹するアスリートからは出てこないタイプのこだわりなんです。若いアスリートからは「鏑木さんはしょっちゅうスポットライトがあったるので、羨ましい」と嫉妬されることもありますが、それだけエッジィというか、突拍子もないというか、深いというか。
<ハイパーエアーGTXフーディ>に反映されているのは、例えばジップの持ち手です。ジップの持ち手を極小サイズにして軽量化するというのはよくある工夫ですが、鏑木さんからリクエストされたのは「ランニング中に持ち手が遊んでパチパチと鳴らないこと」。極限まで追い込んで走っていると、そのささいなことがストレスになるのかとハッとしました。商品ではカチッと止められるロック機能付きのタイプに修正しています。もうひとつ驚いたところで言えば、今季からの新作ザックで採用しているベルクロテープの大きさです。ここをあまり小さくしないでと。極限の疲労状態、手がかじかんでいるときはアバウトに扱っても開閉できる操作性の高さが欲しいと。
<ハイパーエアーGTXフーディ>にはゴアテックス社の最新技術であるシェイクドライが遣われています。いままでのレインウェアでは表生地の裏側に貼りつけていた防水透湿メンブレン(膜)を、表地を省くことであえて露出させた作りになっています。そのためズバ抜けて透湿性が高い。トレイルランにおいては蒸れないことがパフォーマンスに直結します。それと表地がないぶん軽量でもあります。でも、透湿性や軽量性に優れるだけでなく、風雨にさらされたときにちゃんと体を守れなくては意味がありません。透湿性、軽さ、荒天に対する保護力。この3つともすべて高い次元にあるレインウェアというのは実は非常に難しいのですが、シェイクドライの透湿性はゴアのなかで過去最高だし、表生地がないから着心地が柔らかく、運動中にいたずらにシャカシャカしません。そして何より完全防水の膜が表に露出した状態なので、水分はいっさい染み込まず、雨を半永久的に球のように弾く撥水性がピカイチです。
『鏑木さんはいつでも「いや、実はここが……」って切り出すんです。たまにしか「最高」って言ってくれません(笑)』
ただ、この理想の素材を生かすデザインが難しかった。「パックを背負ったその上から羽織れるように」という点でも、鏑木さんたちの意見を反映させています。それならシェイクドライの長所を生かしつつ、パックとのスレに対する耐久性が低いという短所もカバーできますから。富山にあるテックラボという施設でパックを背負った状態でのモーションキャプチャーによる解析を行い、背中のパターンやフードの形状などを突き詰めました。
繰り返しになりますが、ザ・ノース・フェイスではアスリートの声を反映させながらの開発を重ねているので、最近はニューモデルへのフィードバックをアスリートに求めても「最高にいいです」という回答が大半なんです。それはそれでありがたいことですが、でも鏑木さんはいつでも「いや、実はここが……」って切り出すんです。たまにしか「最高」って言ってくれません(笑)。
アスリートとして、パフォーマンスの高い低いは年齢によって変化する面があるかもしれません。でも鏑木さんの挑戦心、冒険心みたいなものはいつまでたっても変わらないですよね。誰でも、何歳になっても挑戦していいんだ、冒険心を抱いてもいいんだ、ということを背中で示してくれる。ザ・ノース・フェイスのタグラインである「NEVER STOP EXPLORING」を最も体現している人だと思います。
後藤太志
ザ・ノース・フェイス事業部アパレルグループ企画担当。アスレチックを扱うカテゴリーで、トレイルランやランニング、インドアクライミングのウェア開発に携わる。トレイルランでの最高峰フライトシリーズをはじめ、ザ・ノース・フェイスがスポンサードする世界各国のクライミング代表チームの五輪用ウェアを開発中。
撮影柏田テツヲ / Photo by Tetsuo Kashiwada