1997年
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
1998年
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
1999年
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
熊本国体山岳競技(縦走)
優勝

「何をするにも自信が持てず、いじめられっ子だった幼少期、ただひとつ得意といえたのが長い距離を走ることでした。決して速くはなかったのですが、粘ることに向いていたんです。中学3年から陸上長距離を始め、2浪を経て早稲田の競走部の門をたたいたのですが、箱根駅伝のメンバーにはあと少しというところで手が届きませんでした。自暴自棄になって、卒業後は群馬県庁に務めましたが、抜け殻のような日々。自暴自棄の数年間でした。こんな人生、もう生きている価値ないなって。そんなとき出会ったのが、地元の新聞に載っていた一枚の写真でした。山を駆けるランナーの姿を見て、こんな世界があるのかと。1年後に参加したその大会でトレイルランの虜になりました」

2000年
大阪府チャレンジ登山マラソン大会
優勝
北丹沢12時間山岳耐久レース
優勝
富士登山競走(5合目)
優勝
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
熊本国体山岳競技(縦走)
優勝
2001年
大阪府チャレンジ登山マラソン大会
優勝
鳥海山ブルーライン登山マラソン
優勝
富士登山競走(山頂)
優勝
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
2002年
大阪府チャレンジ登山マラソン大会
優勝
青梅丘陵高水山登山マラソン大会
優勝
比婆山国際スカイラン
優勝
北丹沢12時間山岳耐久レース
優勝
富士登山競走(山頂)
優勝
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
高知国体山岳競技(縦走)
優勝

「このころは週末がくるたびに群馬県中の山を、さらには県外へと飛び回っていました。楽しいから走る、すると自然と強くなる。だからレースでも結果が出る。楽しくて楽しくてしょうがなかったです。平日で、昼休みに群馬県庁にある30階超の非常階段を何往復もしたり。年間でターゲットにしていたのは富士登山競走でした。日本一高い山を、日本一早く駆けあがる。その明快さに惹かれたんです」

2003年
サイパンマラソン
優勝
大阪府チャレンジ登山マラソン
優勝
比婆山国際スカイラン
準優勝
富士登山競走(山頂の部)
優勝
北丹沢12時間山岳耐久レース
優勝
山田昇記念杯登山競争大会
優勝
静岡国体山岳競技(縦走)
3位
2004年
大阪府チャレンジ登山マラソン大会
優勝
比婆山国際スカイラン
優勝
富士登山競走(山頂の部)
3位
埼玉国体山岳競技(縦走)
優勝
スカイランナーズワールドシリーズ
第7戦 キナバル国際クライマソン(マレーシア)
16位
2005年
北丹沢12時間山岳耐久レース
優勝
富士登山競走(山頂の部)
優勝
岡山国体山岳競技(縦走)
準優勝
スカイランナーズワールドシリーズ
第7戦 キナバル国際クライマソン(マレーシア)
優勝
スカイランナーズワールドシリーズ
10位
日本山岳耐久レース
優勝

「2005年度には、当時、日本国内でメジャーだった3大大会 をすべて制することができて、自分でいうのも何ですが国内では敵なしでした。でもいくら成績を残してもマイナー競技としてのストレスがあって、世間一般からはほとんど無視されているような状態で。まあいいやという思いと、でも心のどこかでは認めてほしいという気持ちのはざまで、常に揺れ動いていました」

2006年
兵庫国体山岳競技(縦走)
優勝
スカイランナーズワールドシリーズ
第4戦 御嶽スカイレース
6位
富士登山競走(山頂の部)
4位
スカイランナーズワールドシリーズ
第7戦 アンドラスカイレース(アンドラ公国)
10位
日本山岳耐久レース
準優勝
京都東山三十六峰マウンテンマラソン
優勝
2007年
箱根エンデュランラン50K
優勝
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
12位
赤城トレイルレース
優勝
京都東山三十六峰マウンテンマラソン
優勝

「30代後半になって、レースでタイムを縮めることに限界を感じ始めていました。だから順位を競うようなレースはこれで最後にしようと臨んだのが、2007年にただ一度だけ開催された箱根50Kです。その副賞がUTMB®(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)への出場権でした。モンブランに行けるのかと観光気分で走ったのですが、そこからが第二ステージのはじまり。あまりの壮大さに、これはレースではなく旅と感じました。このときの優勝者は当時59歳のマルコ・オルモ選手(イタリア)でした。その衝撃は今でも忘れられません」

2008年
青梅高水山トレイルラン
準優勝
志賀野反トレイルレース
準優勝
おんたけウルトラトレイル
優勝
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
4位
日本山岳耐久レース
準優勝
THE NORTH FACEエンデュランスチャレンジ
チャンピオンシップ・サンフランシスコ
3位
京都東山三十六峰マウンテンマラソン
準優勝
2009年
奥久慈トレイル50k
準優勝
THE NORTH FACEエンデュランスチャレンジ
チャンピオンシップ・北京
優勝
ウエスタンステイツ・エンデュランスラン(アメリカ)
準優勝
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
3位
2010年
THE NORTH FACEエンデュランスチャレンジ
チャンピオンシップ・北京
優勝
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
レース中止

「寝ても覚めてもUTMB®のことばかり考えていたころ。2008年にトップ5へと入り、公務員を辞してプロとしてやっていくことを決意しました。将来の保障なんてなかったけれど、世界一になるんだとライバルの顔を思い浮かべながらトレーニングに励む日々を過ごしました。40歳にして最高に充実していましたね。ぐーっと走力が増していく実感があって。その結果が2009年の3位です」

2011年
THE NORTH FACEエンデュランスチャレンジ
チャンピオンシップ・北京
3位
ウエスタンステイツ・エンデュランスラン(アメリカ)
5位
スイスアルパイン・ダボス
3位
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
7位
THE NORTH FACEエンデュランスチャレンジ
チャンピオンシップ・サンフランシスコ
6位
2012年
おんたけウルトラトレイル100マイル
優勝
UTMB®(フランス・イタリア・スイス)
10位(悪天候のためコース短縮)
2013年
ビッグホーン100マイル(アメリカ)
優勝
グランドレイド・レユニオン(レユニオン島)
途中棄権
2014年
ハ-ドロック100マイル(アメリカ)
6位
グランドレイド・レユニオン(レユニオン島)
途中棄権
THE NORTH FACE 100K 香港
5位

「2010年のUTMB®が悪天候で途中打ち切りとなりましたが、このころにはすでにアキレス腱の致命的な痛みと闘っていました。2013年のグランドレイド・レユニオンは補給トラブルで人生初のリタイア。リベンジを期した翌年も不整脈が発症して再び棄権となりました。今のままの走り方ではいずれ死んでしまうかもしれないと感じ、これ以降、レースへの挑みかた、年齢への抗いかたを根本的に見つめ直すきっかけになりました」

2015年
THE NORTH FACE 100K台湾
準優勝
THE NORTH FACE 100Kシンガポール(50km)
4位
THE NORTH FACE 100K香港(50km)
5位
2016年
ウルトラ・フィヨルド
準優勝
2017年
グランドレイド・レユニオン
44位(男子39位)

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撮影 八木伸司 / Photo by Shinji Yagi