私がトレイルランニングを始めたのは2006年のころで、そのきっかけがまさに鏑木さんでした。

ザ・ノース・フェイスがトレイルランニングに力を入れ始めたタイミングで、当時から鏑木さんにはザ・ノース・フェイスの製品を使っていただいています。これにはひとつ注釈を入れなくてはいけないんですけど。

高校までは陸上部で、専門は3,000m障害でした。大学でもランニングを続けましたが、そこまで打ち込んでいたわけではありません。むしろ今の会社に入ってからトレイルランに出会い、のめり込みました。ザ・ノース・フェイスの製品開発を兼ねたフィールドテストに同行することで、鏑木さんから山でのノウハウをいろいろ教わって。日本山岳耐久レース(ハセツネカップ)で同じチームの一員としてエントリーしたこともあります。そのときは鏑木さん、横山さんの快走のおかげでチーム優勝できました。

『「完成度20%」ってダメ出しをされて、それを受けて改良したサンプルをお渡ししたら今度は「30%」って。とにかく鏑木さんは妥協してくれないんですよ』

そんなことがきっかけで2008年にフットウェア事業部から声がかかり、現在はシューズの企画を担当しています。転機は2015年のシーズンで、日本独自の企画としてロード向けのランニングシューズを立ち上げることになったんです。そこでその前年からシューズ工場があるベトナムに駐在して、何度も何度もサンプルを作りました。鏑木さんと本格的に共同開発をすることになったのですが、最初は酷いものでしたよ。「完成度20%」ってダメ出しをされて、それを受けて改良したサンプルをお渡ししたら今度は「30%」って。とにかく鏑木さんは妥協してくれないんですよ。製品のレベルが本人の満足するところまで行ってないとOKが出ません。だから、過去のレースでは他社のマラソンシューズで走ることがしばしばありました。じゃあ気難しいのか、こだわり派なのかというと、一方でどこかヌケたところもあって、そこが魅力的なんですけどね。

前述のように、当時、鏑木さんはトレイルでも軽さを優先してランニングシューズを履くことが多かったので、ようやく完成したこの日本企画のロード向けシューズ<ウルトラレプルージョン>をトレイルでも気に入って使ってくれていました。ただ、数年前から本人のフィジカルの変化も影響してか、ザ・ノース・フェイスの中でも純粋にトレイルラン向けとして展開しているモデルも履いてくれるようになりました。そこで、今回のNEVERプロジェクトが立ち上がったとき、50歳でのUTMBに向けて改めてどんなシューズが欲しいかをヒアリングしました。まず第一に軽さは外せない。でも超長距離なので耐久性も欲しい。さらには軽いけどブレない走り、安定感が欲しい。

『どちらかというとランニングシューズに近いパターンになっています。鏑木さんからは「山岳的なトレイルでもしっかりグリップする」と評価していただきました。』

この3つにこだわって開発した新たな鏑木モデルが<ピナクルレーサー>です。目指したのは片足重量で200gを切ること。一般的には300gを下回れば軽いトレイルランシューズと言えます。そのために既存のトレイルランニングシューズの常識、例えば滑りにくい素材で耐久性あるアウトソールや、アッパーにプロテクションをつけて保護するという考え方をいったん取っ払うことにしました。アンダー200gを目指して、とにかく軽く、削っていこうと。

こうして軽さを確保し、それから滑りにくくて耐久性のあるシューズにするにはどうしたらいいかを試行錯誤しました。現状、アウトソールはスパイク状の小さなゴムを多数配置した、どちらかというとランニングシューズに近いパターンになっています。でも、軽いからかこれで十分滑らないんです。鏑木さんからは「山岳的なトレイルでもしっかりグリップする」と評価していただきました。

アッパーはパッと見メッシュが一枚あるだけ。一般的には強度とプロテクションを高めるためにメッシュが2重になったダブルラッセルが当たり前です。でも今回は一枚のメッシュで、ただ部分部分で目の粗さを変えています。また、ボトムに近い部分には薄い補強材を入れました。これは初期段階のサンプルではなかったのですが、トレイル特有の横ブレを補うための改良です。それからかかと部分にヒールカウンターと呼ばれるパーツを補うのが常ですが、今回はそれも省略しました。その分、ヒールカウンターがなくてもかかとにフィットするよう、パターンは何度も修正を繰り返しています。極端な話、靴紐をしめなくても足に追随してそれなりに走れてしまうくらい。最初期のプロトサンプルから鏑木さんにお渡しして、何度も出し戻しをさせていただき、最終的に「これはいいぞ」という回答をいただけるまでベトナムの開発ラインでの修正を重ねてきました。

過去のUTMBにはサポートとして同行させていただいたこともあります。だから鏑木さんがどんな想いで50歳でのUTMBに臨んでいるか、自分なりに分かっているつもり。パフォーマンスを決めるのはあくまで鏑木さんの心技体ですが、その準備段階、スタート地点に立ったときの安心感や納得度を少しでも高いレベルに持っていく助けになればと。そしてご自身が納得できるような結果を残して、チャレンジしてよかった、いいレースが出来たと言ってもらえるように。そのお手伝いができればとの一心で開発しています。

木村豪文
新卒でゴールドウインに入社し、4年目の2008年よりザ・ノース・フェイスのフットウェア事業部に関わる。現在は日本企画のシューズも多数担当。UTMFは2018年までで過去4度完走しており、各地のトレイルレースで優勝や入賞を重ねるトップランナーでもある。

エピソード1 本編を見る
他の記事を見る

撮影柏田テツヲ / Photo by Tetsuo Kashiwada