「グランドレイド・レユニオンやUTMB®といったウルトラトレイルのレースの多くでは、定められたエイドステーションでのサポート行為が許されている。モータースポーツにおけるピットクルーのようなもので、ランナーの補給や装備を整える手伝いをする。今回、編集者でもある僕は雑誌の取材を兼ねてサポートに入った。
レユニオンは鏑木 毅が唯一にして2度もリタイアしているコース。鬼門ともいえるレースで、3度目の正直となるのか、2度あることは3度…となってしまうのかを、見届けることになった」

10/19(木) 22:00-St.Pierre(start)

「レユニオンのスタートは夜の22時。鏑木 毅、1年半ぶりの100マイル。スタート付近の街に滞在していたので、直前まで脚と心とを整理していたようだった。ウルトラトレイルでは、他のスポーツと違って年に何度も勝負の場があるわけではない。そのため失敗は許されない。取り返そうと思ってもその機会はすぐには得られないのだから。現に、前回のリタイアから実に3年ぶりのレユニオン。だからこその重圧がのしかかる」

「レース中はスマートフォンの画面を幾度となくのぞき込む。インターネットのライブアップデートサービスを通じて、ランナーの通過時間を予測するためだ。そのうえで先回りしてサポートを行う。このライブアップデートを繰り返し眺めれていれば、単に通過時間が予想できるだけでなく、前後の展開やランナーの体調の変化まで読み取ることができる。
今回は事前に『順位を気にすることなく、体感を信じて十分に抑えたペースで入る』と聞いていた。ターゲットタイムも設けない。何が何でも完走だと。

鏑木 毅のレースはいつも後半型だ。みんなが苦しくなるところを、耐えて耐えて耐え抜いて、ジワリジワリと順位を上げていく。それが“神”たるゆえん。そう、UTMB®にすべてを捧げていたころのカブラキを知るトレイルランナーたちは、畏敬の念を込めて彼を“神”と呼んでいたりもする。必ず期待にこたえ、結果を残してきたから。そのカブラキが序盤で流れに乗っていきたいところをぐっと抑えて、温存するのだと言う。これはもしかしたらニューバージョンの鏑木 毅が見られるかもしれない。そう思っていた」

10/20(金) 03:09-Nez de boeuf(38.6km)-5:09、103位

「最初は約40km地点のエイドでのサポートとなった。順位は100番手とちょっと。事前のプラン通りで、十分に余裕があるように見えた。カット済のフルーツや温かいお粥をかっ込み、ヘッドランプのバッテリーを交換し、エナジージェルや飲料を詰め替える。通過タイムは前回リタイア時とほぼ同じくらい。でも、この3年ほどで世界のトップランナーのレベルも上がっていているのか、順位はまだ3ケタの団子状態だ。

このレースではレユニオン島を南東から北西へと対角線上にトラバースする。大きく3つのパートに分かれていて、最初の1/3は海岸線から標高2000m超までをゆるやかに登っていく区間だ。後半の1/3はアップダウンがあってタフなものの、標高自体はさほど高くない里山区間となる。そのあいだの50~100km地点が島の中心部、文字通りの核心部で、死の谷と形容されるマファテ谷の渓谷を抜ける本格的な山岳トレイルになる。車でサポートにかけつけるのもやっと。過去2回のリタイアもこの中間区間だった」

10/20(金) 07:30-Cilaos(65.3km)-9:30、87位
10/20(金) 08:47-Début Taibit(75.6km)-10:47、69位

「2度目のサポートポイントのシラオスの街で夜が明けた。まだまだ余裕がある様子で、落ち着いていた。ようし、ここから上げていくのがカブラキだ、と。

実はこのエイドステーションでは、僕のミスでエナジードリンクの粉末を十分な分量用意できていなく、急遽そのひとつ先のエイドへと車を回して受け渡しすることになった。そんな中、いつのまにか太陽が高い位置に登っていて、午前中の早い時間だというのに暑さが厳しかったんだ。日本の真夏ぐらいの気温だったと思う。なにより直射日光が肌を焦がすようで。でも、それは鏑木 毅にとっては願ったり叶ったりな展開だった。順位を上げていくのは決まって灼熱のレースだから。そして一気に20番近くポジションを上げて現れた。

さぁ、ここから!

ただ、同時にちょっとした異変のサインも現れていたように思う。ストライドに、上がっていく順位ほどの力強さがない。緩斜面の登りを走り続け、スピードに乗っていくのが鏑木 毅の特徴のひとつ。でもレユニオンのトレイルの特徴でもある大きな岩や張り出した木の根の段差が頻出するためなのか、スピードに乗りきれていない印象だった。次に合流できるのは約10時間後。死の谷マファテへは時間の関係でアクセスができない。さらにはサポートする側も山深いところを運転するため通信環境が十分ではなく、ライブアップデートがなかなか更新されない。ようやく繋がってオンラインになると、さらに順位を上げてはいたものの、ペースがさほど上がってはいなかった。理想通りのレース展開となってはいなかった」

10/20(金) 18:47-Maido(75.6km)-20:47、56位

「マイドのサポートポイントは、死の谷マファテを標高差1500mほど登り切ったところにある。スタートからは約110kの地点。このあたりではどの選手も疲労の色が濃く、たどり着くなり腰を下ろし座り込んでしまうランナーもいる。
果たして鏑木 毅はというと--、霧の中からその姿が見えたとき、これまで見たことがないくらいの苦悶の表情を浮かべていた。胃が食事を受け付けなくなり、補給ができていない。『ちくしょう』とつぶやく。お湯の力を借りながら、食べられそうなものをどうにか流し込む。でも、撮影のカメラから背を向けおもむろに木陰へと向かうと、胃の中のものを吐き出してしまう音が聞こえた」

10/20(金) 21:06-Sans Souci(126.1km)-23:06、56位
10/21(土) 01:10-La Possession(143.7km)-27:10、49位

「ウルトラトレイルにおいて、補給はガソリンと同じ。食べられないとガス欠のリスクがともなう。山中で急に倒れてしまうかもしれない。それが怖い。いっそ、伸るか反るかでぺースアップしてしまったほうがどれだけ楽なことか。押したくても押せない。でも、辞めなかった。脚に力が入らず、もうほとんどフラフラでも、ポールを握る手は力強く、なにより目の光が消えていなかった。『絶対にモノにする』『必ずゴールまで行く』。

ポテトチップスをなんとか口に含み、シリアルバーをちょっとづつかじりながら、泥臭く前だけを目指していた。

生身のカブラキは神なんかじゃなかった。このレユニオンも、今までのどのレースでも、上手くいくという事前の保証などありはしなかった。全身を襲う疲労や胃のむかつき、脚から脳天までを突き抜ける痛みは必ずついてくるもの。でもその極限の状況を前向きに受け止めなければ、望むものが手に入るはずもなくて。その意味では僕ら市民ランナーと何も違わない。レースのたび重圧にさらされ、そのつど打ち勝たないことには、心からの笑顔になれない。神なんていない。ただ、やるかやらないかだけ」

10/21(土) 05:46-St Denis(164.6km、goal)-31:46、44位

「島一番の大きな街の、街外れの高台にある陸上競技場がこのレースのゴールになる。朝もやのなか、その高台だけが横からの朝日を受けて黄金色に包まれていた。2度目の朝を迎えたというのは、鏑木 毅が思い描いていたベストの結果とは違う。だからちょっとだけ皮肉めいてもいたのだけれど、そんなことがどうでもよくなるくらい、ただただ美しかった。

ゴールゲートには飛びきりの、心からの笑顔で現れた。それを見て、やり抜いたんだということがわかった。最後までじわじわと順位を上げ続け、総合44位。単純にその結果だけを見れば成功とは言えないだろう。でも、決して屈しなかった。勝たなかったのかもしれないけれど、負けはしなかった。

そこには、やるかやらないかで“やる”方を選んだ男の顔があった」

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撮影 藤巻翔 / Photo by Sho Fujimaki