夏のシャモニーはさしずめ「山のハワイ」だ。

最初にこの「シャモニー=ハワイ説」を聞いたのは、確か、鏑木の口からだった。トレイルランやクライミングなどの山のアクティビティや、マウンテンリゾートの雰囲気が好きな人にとって、シャモニーはまるでハワイのように最高の環境である、と。

試走1日目。「力みはないけど力強い足取りで」

鏑木 毅が50歳で迎えた夏に再びUTMBを走る。

その最終調整として、大会一ケ月前にUTMBのスタート/ゴールであるシャモニーに滞在し、コースを試走することになった。鏑木がUTMBのオリジナルコースを走るのは2011年以来だと言う。最後にUTMBを走ったのは2012年だけれど、このときは悪天候のため標高の低い里山を中心とした100kmの代替ルートでの開催だった。170kmから100kmへと短縮され、不得手なスピードレースを耐え抜いき10位で表彰台に登った。ちなみに今までのリザルトをすべて振り返ると、初参加の2007年に12位、2008年4位、2009年3位、2010年は荒天で途中打ち切り、2011年7位という記録を残している。2011年のときにも本番前にレースコースでの試走を行い、そのときのラップタイムはまだ克明に記憶しているという。

試走は7月の末に、のべ2日に分けて行われた。鏑木が滞在したのは街はずれの定宿で、今までと違うのは、家族の人数が娘を含めた3人に増えていることだろうか。試走1日目のスタート地点は、レース約35km地点となるノートルダム・デ・ラ・ゴルジュからを選んだ。ここからいよいよ本格的な山岳区間の上りパートがはじまる。そして2400m超のピークをいくつも越えて、大エイドが設けられる約78km地点のクールマイヨールを目指す。本番では夜中になるパートだ。

僕らクルーは取材とサポートを兼ねてクールマイヨールへと先回りすることにした。しかし天候が優れない。街から見上げる山々は到着の目安時間を待たずして黒い雲につつまれ、やがて雷雨に変わった。たまらず途中の山小屋まで様子を見に駆け上がる。冬はスキー客でにぎわうであろうログハウスの軒先で雨をしのいでいると、ジープ道の先から黒ずくめの物体がテンポよく近づいてくる。鏑木だ。上下レインウェアに身を包み、顔は笑顔だ。雨足が強くて何を喋っているか完全には聞き取れないけれど、立ち止まることなく、道標をなぞりながら流れるように駆け下っていく。トレイルの傾斜を乗りこなし、アップダウンには不必要に逆らわず、山と一体になった感覚で走っているのだろう。トップトレイルランナーならしばしば経験する、一種のゾーンのようなものだ。力みはないけど力強い足取りで、撮影のためにしばし追走すると、リズミカルな着地の音が不思議と耳に残る。ああ、仕上がっているんだな。率直にそう感じた。

クールマイヨールの街に降りて補給を済ますと、あっというまに晴れ間が広がっていた。山の天気は変わりやすい。「じゃあまた後で」と、85km地点のアルヌーバへと駆けて行った。

試走2日目。「これほどまでの走りをしていたことはなかった」

試走2日目はモンブラン山塊を挟んでちょうど反対側、スイス領となるフーリーの街から。レースでは約109km地点の第12エイドとなる。ここからシャモニーの街に設けられるゴールゲートまでラスト約60kmを試走する。天候の関係で休息日を挟んだが、それでも約50kmを走った疲労はズシリと残っているようだ。それでもいざ走り始めると、その姿はすぐに見えなくなる。

ここからは自動車道から川を挟んだ谷あいの断崖のシングルトラックを進むルートで、2009年のUTMBを追ったドキュメンタリー番組『激走モンブラン!』で、かのスコット・ジュレクを抜き去ったパートだ。グッドラック。あのときの映像に負けず劣らずのケイデンスで、軽快なピッチを刻んでいる。それは約123km地点のシャンペ湖でも、約140km地点のトリアンでも変わらない。

ここ数年、鏑木のレースをサポートしながら本気モードの走りを目の当たりにしてきたし、トレーニングでは何度か一緒に走ってもいる。でも、これほどまでの走りをしていたことは、なかった。50歳でUTMBという大きな挑戦に向けての新しいトレーニングが実を結びつつあるのだろうか。自身を世界的なトレイルランナーへと高めてくれたツール・ド・モンブランのコースが内なる何かを呼び起こしているだろうか。

UTMBコースの後半はいくつかの小さな観光地を駆け抜ける。「おお、お前は……あのジャポネじゃないか! ほら、UTMBを走っていた」。何度そう声を掛けられたことか、カブラキの名前こそ口をついて出てこないものの、その雄姿を覚えている人は多い。最終セクションに入ってシャモニーの街が眼下に入ると、一気に加速し、先回りしていたつもりのクルーは試走のフィニッシュに追い付けなかった。とくにトラブルらしいトラブルもなく、ましてやケガもなく、2日間で110km以上を走り込んだ。

鏑木毅は「何を目指しているのか」

2019年のUTMBで鏑木が「何を目指しているのか」「どれだけやれるのか」と気になっている人も多いと思う。

今回は順位やタイムといった数値的な目標は掲げられていない。恐らくはただただシンプルに、50歳のフィジカルでできる最高のパフォーマンスを目指しているのだと思う。それはアウトドアスポーツならではの挑戦や冒険の感覚に近いのだろう。

たとえば登山家がヒマラヤ8000m峰のピークを目指すのと同じように。あるいは海洋冒険家がヨットで太平洋横断を狙うのと同じように。

とはいえ、生粋のアスリートとしての本質には変わりがないと思う。本気で世界一を目指していた10年前のように悲壮感が漂うほどの追い込みをしていなくても、大舞台へ向けて一心に追い込む“純度”にまったく見劣りはない。だから本気も本気、超本気だ。その証拠に少なくない時間と費用を費やして、こうしてはるばるシャモニーまで試走に来ているのだから。ここまでの準備をしているトレイルランナーが他にいるだろうか。ちなみに2日間の試走のうち、初日のコースは2011年に試走したときとほぼ同じ内容だったという。タイムは? これもまた8年前とほぼ同じだった。

夏山シーズンを迎えたシャモニーの街では、まるでハワイのように、誰もが充実した面持ちで表情をほころばせている。そして8月最終週のUTMBウィークが来ると、街全体がよりいっそう祝祭的な雰囲気に包まれる。

そんな夏のシャモニーは、間違いなく、鏑木 毅に似合っている。

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撮影 八木伸司 / Photo by Shinji Yagi